マジックリアリズム

火星夜想曲 (ハヤカワ文庫SF)

火星夜想曲 (ハヤカワ文庫SF)

……というのも、彼は運命が不可解な流砂のようなものであると悟っていたからであった−−研究の結果、運命がその目的地にたどりつこうとすると、時間とパラドックスの風景を通る数多くの道をたどることを知ったからだった。というのも、destinyとdestinationは、異なる文字によってつづられたおなじ言葉ではないだろうか? 砂漠の頂上にとどまり、実り多き孤独を送ること、それが彼の運命なのだ。……
(第1章より)


以前、とある先輩に「きみの好きなSF小説のタイトルをだいたい聞かせてもらったが、その流れでいくと、きっとこれを気に入るはずだ」とオススメされた作品。
そのときは、イアン・マクドナルドの作品について、「マジックリアリズム」というような説明があったのを思い出して、そういうのは自分が求めるものと違うかな、と読まないでいたのでした。
マジックリアリズムって何? と聞かれれば、ちゃんと説明できるかどうか不安だけど、私の中では、まあ、どこまでが現実でどこまでが夢かわからないような、夢みたいだけどすごく現実感があるというか、そういう、現実と夢(非現実)の境を曖昧にする不思議な書き方としてとらえてます。
ただそういう書き方をしているというだけでは、私が気に入ることはないかなあと思ったので。
それでも、最近になって読みだして……とても素晴らしかった! という……。


内容は、遥かな未来のお話で、人間が住めるように開発された火星が舞台です。
この作品の中の火星には、徹底的な環境改変の結果、地球のように大気があり、水があり、森や川、そして砂漠などの「自然」があります。
その砂漠の中に、デソレーション・ロードというとても小さな居留地が形成され、流れついてきたいろいろな人を受け入れて、村になり町になり発展していくのですが、激しい戦闘にまきこまれた後、住む人もいなくなり、ついには消滅してしまいます。
その、デソレーション・ロードが形成され、消滅するまでの流れをえんえんと語るのがこの小説なのです。
登場人物が多いです。その登場人物たちがそれぞれに入り乱れた人間関係を形成し、ある者はいがみあい、ある者は愛しあい……。いさかいの中で殺されてしまう人もいます。ある子供は成長して町を出て、都会で暮らしてから、また故郷の町に戻ってきたりします。
デソレーション・ロードを中心に、登場人物それぞれの人生が、もつれもつれて、奇想天外な発展をたどっていくのです。


全部で69章にわかれていますが、私が好きなのはとにかく第1章。
第1章があまりにも気に入ったため、かえって後の章を読む気がなくなり、しばらく読むのを中断していたほどです。
何となく、後の章は全て第1章には及ばないだろうという予感があったので……。
その後思い直して、ようやく読み終わったのですが……やはり第1章に匹敵するインパクトを持った章はなかったですね、私の中で。
どうして第1章がよかったかというのは、個人的に、デソレーション・ロードの創始者であるアリマンタンド博士の孤独な旅の描写に、大変深いものを感じたです。
アリマンタンド博士の孤独な旅、その途上での不思議な緑の小人との出会い、その出会いをきっかけとして始まる、砂漠での孤独な研究……。
ただ孤独な旅を描いているのではなく、そこに人生全体の姿を暗示させて……。
こういうのに、私は弱いのかもしれません。
ただ、この作品は非常に雰囲気を重視していると私も思うのですが、この作品全体の雰囲気というのは、「孤独」というテーマとよくマッチするように思うのです。
だから、アリマンタンド博士の孤独な人生を予感させる第1章は、作品の持つ雰囲気が実にみごとにいかされているように思うのです。
文章的にも、記憶に残る、素晴らしい表現が多かったように思いますね。
この第1章だけで作品が終わっていたとしても、私はいいと思ってしまうでしょう。
第1章以降、デソレーション・ロードにいろいろな人が登場してきて、アリマンタンド博士も一人というわけではなくなり……それでも最後まで読みきることができたのは、何より文章が素晴らしかったからです。
翻訳なので訳者の力量も絡んでると思うけど、大変な名文で、スラスラ朗読したくなるような出来ばえでした。
ひとつひとつの表現が、すごく凝っていて、そういうのが好きなものだから……。
文章だけみていると、私がここ1、2年のうちに読んだ海外小説の中でベストなのではないかという気がします。


この本の評価を聞いていると、文学系のSFだ、という人がいますが……。
何だか気になります。この場合、「文学」っていうのはどういう定義なんでしょう?
私の中では、「文学」という感じではなかったので……。
雰囲気を楽しむ小説だ、という人がいましたが、まさか「雰囲気を楽しむもの」=「文学」ととらえてるわけではないでしょうね。
意外と、これは文学的だ、なんていう表現は多いし、私もそういう表現を使うことはままありますが、文学ってどういうものを指すの? あなたはそれをちゃんといえるの? っていわれると正直困るものもありますね。文学の定義、っていうのは非常に難しいので……。
それでも一般的な定義としては、文学を「複雑多様な人間の姿を描くもの」ととらえる向きがあるようです。
その定義でいくと、この作品は文学というのとは違うような気がしますね。
確かに、多種多様な人間の姿が描かれていますが、それが主目的というわけではないように思うので。
この作品はむしろ、火星に存在したデソレーション・ロードという小さな町の歴史を、SF的な要素に満ちたひとつの「夢」として描くところに主眼があるように思います。
人間を描くということも重視してはいるけど、最終的にはSFというか、ファンタジーというか。
確かに雰囲気はすごくいいですね。


不満な点をあげるとすれば、この作品の日本語のタイトルですね。
原題は"DESOLATION ROAD"なんですが、邦訳では『火星夜想曲』になってます……。
「火星」を題に入れた方がいいだろ、っていうのはわかるんですね。何も知らないで読んでいると、舞台が火星だということがなかなかわかりにくいので……。題に入れておけば最初から火星が舞台ということで入っていけます。
しかし、「夜想曲」というのはいったい!?
雰囲気的には作品とよくあった言葉なのかもしれないけど……。
作品の内容と、この「夜想曲」という言葉とはあまり結びつかないように思うのです。
かりに、本文中にこの言葉が出てきているのだとしても……。
まあ、夜想曲というのは一般に、哀愁漂う楽曲らしいですが、それだけでは、作品との結びつきが弱いという気がします。
哀愁というだけでこの作品のタイトルに入れてしまうのは、ちょっと安易かなあと。
もうちょっと邦訳の題名を考えて欲しかったなーと思いました。