となり町戦争
- 作者: 三崎亜記
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2005/01/05
- メディア: 単行本
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いつも、本などの感想を書く前に、アマゾンドットコム掲載の読者レビューを参考に読んでいるのですが。
いやー、アマゾンのレビュー書いてる人たちは厳しいなあ(^^;
一般の読者からみれば、この小説、すごく出来がよくて、ゾクゾクさせてくれるものなんじゃないかと思うんですが。アマゾンでも、好意的なレビューもありましたが、大半は批判的ですね。アマゾンのレビュー書いてる人たちは、とても目の肥えた、相当な読書人たちだと私は感じました。いや、もちろん彼らのいってることは間違っているわけではないです。ただ、「厳しいな」と。
この小説、自治体同士が公共事業として戦争を始める、というアイデアが光ります。淡々と描かれるお役所仕事、偵察業務従事者に任命され、わけがわからないまま「みえない戦争」に加担していく主人公。
どこまでも淡々と描いてゆく文章、非情なラストの展開。構成など、とてもよく考えられていると思います。ただ、エンタテインメントとして、「面白い」とは思うのですが、テーマとして、「何をいいたいのかわからない」というのは私も感じました。
「あっ、こういうアイデアを、こういう淡々とした文章で描いているのか。何だか、お役所仕事の不気味さみたいなものが目立つなー。みえない戦争って、ちょっと怖い感じもするなー」という感想が「面白い」という言葉につながっていくのですが、ではこの本を読んで私は何を得たのか、というのが……。
何をいいたい、とか、そういうことを考えてはいけないのでしょうか。ただ、この本に描かれている世界をそのまま受け取って、何かを感じる、そこに意義があるのでしょうか。つまり、何かを「描く」、ということに眼目のある小説なのでしょうか。
この作者がやろうとしているだろうことを、最大限汲み取って読んでいくと、「お色気は、余計なんじゃないか」という感想が出てきます。自治体同士の戦争を、淡々と描いていく。その中に、主人公と一緒に偵察業務に従事する女性公務員が、週に一度「性的欲求の処理」という名目で主人公と寝る描写があるんです。その、主人公と女性との「交わり」が何だか余計な要素だという気がするんですよね。
どこか冷たいお役所の事務を、「性的欲求の処理」をする女性公務員の描写を通じてより鮮烈に印象づけようとしているのかもしれませんが、いくら何でも性処理については「やり過ぎ」なのではないかと。「何だこれ?」とすごく気になっちゃうんですよ。不思議な交わりにばかり目がいって、全体を味わえなくなるというか。
いくらお役所とはいえ、女性公務員を従軍慰安婦のように扱ったりはしないと思うんです。それこそ、問題になっちゃうわけじゃないですか。まあお役所が「戦争」することがそもそも問題だろといわれればそうなんですが。
この、よくわからない「お色気」要素がなければ、この小説、「みえない戦争」を不気味に描いたものとして、完成度の高い作品として認識できるように思うんです。
しかし、アマゾンのレビューでひとつだけあった意見に、「特殊な恋愛小説として読めば面白いかも」というのがあり、確かにそう読むこともできそうな気がしました。つまり、「お色気」的なものが実はメインだったということで読む方向もありかなと。
しかし、「みえない戦争」を淡々と描くことで何らかの問題提起をしたいのなら、「お色気」は余計だと思いますね。主人公と女性公務員の「交わり」の部分はいらんだろうと。
そういうわけで、私もちょっと、抵抗を覚えはしましたね、この作品には。素直に味わえないというか。